「太平洋戦争中の中華民国国民政府の性格に関する質問主意書」大地・鈴木宗男君(衆)
けっこう古い、平成19年に鈴木宗男代議士(当時)が提出した、大東亜戦争期の「中華民国」って誰よ、日本との関係はどうなの?という、最高な質問です。本当に素晴らしい。よくぞ聞いた。右紹介する。
衆議院議員鈴木宗男君提出太平洋戦争中の中華民国国民政府の性格に関する質問に対する答弁書
一 一九四一年十二月から一九四五年九月までに中華民国国民政府が複数存在したと政府は認識しているか。
二 一に対する答弁が肯定の場合、複数の政府の国家元首名と政府の正式名称を明らかにされたい。
この質問、最高。
一及び二について
当時、蒋介石等が主席を務める国民政府及び汪兆銘が主席を務める国民政府が、それぞれ中華民国国民政府と称していた時期があったと認識している。
南京国民政府を忘れていなくてよかったです。しかし、重慶政府は「蒋介石等」としているのに、南京は「汪兆銘」と、本人には無断で主席にした林森と、汪兆銘が死んだから代理主席になってしまった陳公博を無視しているのは、どういうことなのでしょうか。
前者はともかくとして、日本に亡命して金閣寺に逗留した後、重慶へ引き渡して銃殺された陳公博を無視するのは、道義的に如何なものか。
三 一九四五年八月に日本政府はポツダム宣言を受諾したが、それはいかなる国家に対して効力を有するか。三について
我が国は、千九百四十五年八月十四日に、アメリカ合衆国、グレート・ブリテン国、中華民国及びソヴィエト社会主義共和国連邦の四か国に対し、ポツダム宣言を受諾する旨の通告を行った。
「米英支蘇四国に対し……」ですね。
四 ポツダム宣言を受諾した時点において、日本は、南京に所在した中華民国国民政府と同盟関係にあったか。四について
ポツダム宣言を受諾した当時の我が国政府と汪兆銘が主席を務めていた国民政府との関係は必ずしも明らかではなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
これはひどい。だから、当時の代理主席は陳公博だと……。
汪兆銘政権の面々は、化けて出る権利があると思います。