国会「好・珍質問主意書」

本ブログは、衆参両院に提出された質問主意書と答弁書の中から、「これは」というものを、独断と偏見で選び、面白がる目的で設立しました。

「国務大臣のやじに関する質問主意書」立民・ 熊谷裕人君(参)

 ここ数日も、辻元清美代議士に対して安倍総理が「意味のない質問だよ」と野次ったことが話題になっていますが、安倍総理の野次好きは前からのこと。

 昨年の第200回国会で立憲民主党所属の熊谷裕人参議院議員(埼玉)が、「国会議員の国会での発言については、憲法で免責特権が認められているが、憲法学説上国務大臣は対象外ではないのか?」「内閣総理大臣による野次は不適切では?」との質問主意書が提出されました。質問というよりクレームですね。

 「免責特権と不規則発言って関係なくね?」と素朴な疑問がありますが、三木武吉による伝説の野次まで引っ張り出し、「野次は議会の華」との一面まで紹介していて面白いので、右紹介する。

国務大臣のやじに関する質問主意書
  昨今、国会審議で安倍総理が閣僚席から何度もやじを飛ばし、問題となっている。
 やじは議長の許可を得ない私語であって、議長が、不規則発言としてこれを制止するものとされている。他方、やじは議会の華とも言われ、良いやじは議会政治の活性化に寄与する一面もある。良いやじはユーモアの精神から生まれるとの指摘もあり、議院規則、典礼に通じていること、冷静でありつつ、決してやり過ぎないことなどが本来の意味のやじの要件とされる。議会やじ史に残る代表例としてしばしば引用されるのは、大正九年衆議院本会議における三木武吉議員の「ダルマは九年」とのやじである。このやじは高橋是清大蔵大臣へのユーモアの精神に富んだ寸鉄人を刺すものであり、また、同議員が一議員として行ったものであった。

  野次についての一般論は、このとおりだと思いますね。野球場での伝説の野次は、「清原ー、お前の家で買うた電球つかへんぞ」でしょうか。


 日本国憲法第五十一条では、「両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない」と示されている。
 本条は、「国会における言論の自由を最大限に保障し、国会議員がその職務を行うに当ってその発言について少しでも制約されることないようにしようとの趣旨」の規定であるが、「本条の特典は、もっぱら両議院の議員に対してのみみとめられるもの」であり、「議員以外の者にはおよばないと見るを正当とする」(宮澤俊義著、芦部信喜補訂「全訂 日本国憲法」、日本評論社)と解されている。
 早稲田大学の長谷部恭男教授は、「国会議員の国会での発言については、憲法で免責特権が認められています。全国民の代表として幅広く自由に議論を展開する必要があるからです。しかし、国務大臣は免責されないというのが憲法学界の通説です。国務大臣は政策遂行について説明責任を果たすために国会で答弁するのであって、一議員と同じ立場で自由に発言することは到底認められません」(朝日新聞、平成二十七年三月二十九日)との認識を示している。
 右を踏まえて、以下質問する。

 これ、質問主意書でよくあることなのですが、学説開陳してどうするんですかね。政府というか、お役所は学説にもとづいて判断するわけではないのですが。学説にもとづいて判断すべきなら、「学会」なり「学者」が法解釈権をもつという、よくわからない制度になるわけで。

 あと、不規則発言とこの場合の「自由に発言」は、多分意味が異なる気がします。それはそれとして、以下、質問項目。

一 国務大臣には、日本国憲法第五十一条でいう国会での発言の免責特権は必ずしも認められていないという理解でよいか。

二 日本国憲法第五十一条の趣旨からしても、国務大臣は、国会において一議員と同じ立場で自由に発言することは到底認められないのではないか。

三 前記一に関連して、国務大臣には国会での発言の免責特権は必ずしも認められておらず、国務大臣が品格のないやじを飛ばすことは「不規則発言」に他ならず、議会政治の活性化に寄与するものでもなく、不適切ではないか。

四 閣僚席からのやじは本来行われるべきではなく、ましてや国会での国政全般について説明を行うべき政治的義務のある内閣総理大臣がやじを飛ばすことは、日本国憲法第七十二条および第五十一条の趣旨に反すると考えるが、政府の見解如何。

  はい、答弁はこちら。

一から四までについて

 国会の両議院の院内における発言の在り方については、国会の運営に関することであり、政府としてお答えする立場にない。なお、憲法第五十一条は、両議院の議員が、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われないことを定めたものである。

 

「国会運営について、政府は知らん」という、言われてみりゃ当たり前だよな、というお話。憲法第五十一条については、どうやら「不規則発言」について定めたものではないというようですが、「不規則発言」について「規則」しているわけではないのは、これも当たり前かと思います。

 そんなわけでこれは「クレーム珍質問」に分類すべきかもしれませんが、「野次のあり方」についての前文がよかったので、「好質問」とします。

 これは余談で、かつ今は知りませんが、学生弁論でも「野次は弁論の華」と言われると同時に、しばしば「ニコ動の弾幕」のような野次の嵐となり、それこそ「単なる罵詈雑言」となる場合もありました。しばしば「野次」を禁止してはとの話も持ち上がりながらも、「不規則発言禁止って意味不明では」との疑問もあり、私の知る限りでは完全に禁止されるには至りませんでした。

 また、実際に東京大学・第一高等学校弁論部主催の弁論大会で「野次禁止」と定められたこともありましたが、司会の制止を無視して野次を続け、「ひとりごとです」と言い張る御仁もあり、その時は「禁止したところで制御不能」と判断されたそうです。

 その数年後も「野次禁止」が導入されたことがあると聞いたことがありますが、その際には机を叩く蛮行で抗議した女性がいたと聞きます。なお、前出の御仁と同じ大学でありますが、どこかはご想像におまかせします。

 いずれにしても、熊谷議員による「良いやじはユーモアの精神から生まれるとの指摘もあり」「冷静でありつつ、決してやり過ぎないことなどが本来の意味のやじの要件とされる」との言は、「野次要領」として、議会にとどまらず、野球観戦などにも適用していきたいところです。